子供の頃、一人でいるのが好きな私は
「よかった探し」という遊びをよくしていた。
当時のアニメの主人公が
やっていたのを真似たのが最初、
やっているうちに
単なる真似事が自然と習慣に
なってしまったということだろうか。
大人になってもふとした瞬間、
ぼんやりとだけど良かった探しをしている。
道具を必要とすることもなく、
いつでもどこでも考えているだけなので
どんな時でもいつでも、途中でやめても問題はない。
今日起こった小さな良かったを探して考えてるだけ。
「ご飯が美味しく炊けた」とか
「身近な人と一緒に笑った」とか
「植物の新芽を見つけた」とか
「夕陽がキレイ」とか
今の自分はずっとこの良かった探しに
沢山助けられてきた。という気がしてる。
ほんわか小さな幸せを感じたり、
自分のマインドに余白が生まれたり。
自分というものが安定して
色濃くそこにいる感じになる。
色々なものや事が簡単に手に入る日常、
世界にも簡単につながれるようになり、
日々ダイナミックな経験や情報が身近にある今。
それが当たり前になってくると、
たまに急に自分が小さく無力に感じたり
孤独を感じるように思う時がある。
自分の存在みたいなものが薄くなる。
「感動的な幸せ」も
あったらもちろん幸せなんだけど
この小さな幸せを日々感じることが、
自分には大切なんだな。