少し前の出来事。
味噌麹のお仕事で、
作業する場所まで行くのに
車でバイパスを通る。
夕方の帰り道。
バイパスの浜名湖を渡る
大きな橋の坂道を登りきり
一番上まできて、
急に鳩が車道をトコトコと歩いてきて、
かろうじて避けたけど、あとわずかで
ひいてしまいそうだった。
ドキドキした。
ひかなくて良かったと思ったけど、
あのままだと轢かれるよ。
それよりも、鳩と目があって
まるで轢かれにきてるみたいだったから
・・・それでドキドキしている。
バイパスの浜名湖にかかっている橋は結構高くて、
トンビが飛んでいるのがたまに見えるけど
鳩がとまったりする高さよりずっと高い。
鳥に詳しくはないけど、普段は
橋の下を通り過ぎるんじゃないかな。
私は、
気のせいかもしれないけど鳩が
トコトコとまるで
自ら轢かれにきている様に感じていた。
帰宅ラッシュで割と車が沢山通っていた。
あのまま私が轢かなくても、
ガードレールを潜れば
反対車線で轢かれるんじゃないか・・・
次の日の朝、再び仕事で反対車線を通ると
橋のてっぺんにはおそらく鳩だったであろう跡。
しばらく、そして今もだけど
鳩が自分でわざわざ最後を
そこに選んできている気がして。
小さなショックがあるとともに
なんで? みたいなものが自分の中にある。
普段、私たちは
「もう少し先で死ぬかもしれない」
なんてあまり考えない。
でも本当は災害や不慮の事故とか、
いつ何で死ぬかわからないし
全ての人に死は平等に訪れる。
急な何かには抗えず
心が備えることはできないけど
ネガティブではなく、
「自分はどう死ぬか?」
ということが、その鳩の出来事から、
ずっと頭の片隅にくっついていて
そしたら面白いことに、
普段何気なく選択していることを
さらりと流さず、意識して
選択できる自分が現れてきた。
日々の行動や食べるものも、
いつ死んでも自分が納得できる選択を
一つ一つしていく。
なんかどう死ぬか? を考えていたら、
日々のどう生きるかに繋がった。
あの時の鳩がどうだったかは
未だに解決できずにいるけど、
その余韻を大切にした方が良い気がしていて
あの時の鳩に感謝している。