幾つになっても美味しいものを
好きなものを食べて生きていたいと思う。
お仕事で高齢者のサービス付きマンションで
お食事を作らせてもらっている。
月に一度、ランチタイムのお食事の提供。
味噌汁は出汁をひき
揚げ物・炒め物などは なるべく出来立てを。
生野菜はシャキッと彩りよく。
ただそれだけ。
本当にそれだけなんだけど、
とても喜んでもらえる。
普段のお食事はパウチ食。
職員の方々が提供できるように、
利便性も考えられてのことだと思うし
コストのこともあるかもしれない。
味見させてもらうと、味染みはいい。
根本的な味もかなり良い。
パウチ食が悪いとも思わないし、
むしろ、そこの施設は
生活の面や介護の面から
良い場所だなぁと思っている。
でもでも、食事という生命の営みの中で
パウチだけだと大切な何かが
足りない感じがするような。
そういう課題を感じて、
私に手作りの料理の提供を
頼んでくれたのかなとも思う。
実際、暮らしの中で
ご飯を作る匂いとか、音とか、
子供から大人までお腹が空いて、
ご飯ができるのを待つ時の
「ワクワク」みたいなもの。
そういうたのしみが、
できればあった方がいい。
私も、周りの人も、誰でも歳をとる。
もし私が歳をとり、
万が一、体が不自由になったり、
もしかしたら意思表示ができなくなって
それでも生きていたとしたら
それでも自分の好きなものを
食べていたい、と思う。
週に何回かは美味しいお酒を飲みたい。
生牡蠣もたまにたべたい。
たとえそれで喉に詰まったり、
お腹を壊しても・・・
そう思うと、昨今よくある
エンディングノートには
こんな項目が欲しい。
介護が必要になって、
意思疎通ができなくなったら、
最後の時にはこれを食べたい。
ということを伝えるページ。
誰でも、死ぬまで
美味しいものを食べたいと
思う気持ち、あるんじゃないかな。