コラム食堂店主が思ふこと

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食べるということ

店主のつぶやき

食べるということ は「生きるため」が
基本であると思うけど、

命をいただくこと
安心を感じること
楽しむこと
学ぶこと  などなど・・・

深すぎてあげればキリがない。

食べるということについて誰かと話すとき、
色々な考えや感情が伴う。
あまり上手に説明できないことが多い。

聞いてる方も、支離滅裂とまでいかなくても
何か熱い思いでもあるんだろうなぁ、と
よくわからない感じがするに違いない。

なので、食べることについて

これからひとつずつ、考え、整理して、
この場で綴っていこうと思う。

今回は 「命をいただく」ということ。

もうだいぶ昔の話になるが、
「命をいただく」というワークショップに
家族で参加したことがある。

その名の通り、命をいただく。

この時は鳥をシメて捌いて
料理していただく、という経験をした。

その頃の私と家族は、なるべく
「自然に則した暮らし」を考えていて

自給できるものは自給したい

そんな感じだったと思う。

で、ニワトリを飼えば卵を産んでくれる。
そして卵を産まなくなったら食べられる!

・・・名前をつけたら食べられないよね
・・いやその気になれば、できる!
食べられるかも・・・
なんかモヤモヤした。

当時好きだった漫画も農業高校が舞台の話で

豚を飼育して最終的には加工品にして
出荷までを学ぶのだけど

その過程で起こる主人公やその仲間たちの
心の葛藤みたいなものが描かれていて

面白く読む以上に

あぁ、私の食べているこのお肉も誰かが
代わりにその行為をしてくれているんだなぁと。

そう考えたらスーパーに並んでいる
お肉やお魚を、気楽に買える気分でなくなり

食べ放題で喜んでいる人を
なんか冷ややかに見てしまい

挙げ句の果て、ベジタリアンに
なることを考えたりもした。

あれから数十年。

実は私の中に明確な結論は出ていない。
お肉も食べている。

でも命をいただくことについて
考えたり、経験したおかげで

何かが変わった気がする。

私も含む全ての人たちは
毎日命をいただいて生き延びている。

プライドを持って美味しいお肉を
出荷するために働いている人もいる。

食べなくなればそれでいい
という問題ではなさそうで、

少なくとも生き延びられている命ある人は
結論は出なくとも「命をいただく」ことについて
知ったり学んだり考えたりする必要がある気がした。

いただきます

日本人は手を合わせて食事の前にこう言う。

これは、命をいただきます、なのかもしれない。

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